原点からの創造-概念と構造の再構築

過去3回(1、2、3)の記事において「原点に還る過程」というものを書いてきた。そこでは、「無に還る、循環に還る、数に還る」という3つの原点の場所を言語化した。他にもより自分たちの存在に近いところにもいろいろな還る領域が存在していて、例えば原点から離れていくことを「次元が下がる」という考え方で捉えてみたり、または原点に構築された「時間と空間」という宇宙の入れ物の生成のロジックを想像してみたり、入れ子の状態の中の中に存在する私たちを構成する多様な階層を言葉にしていくことについては今後少しずつ言葉にしていきたい。

 

今回はそのような原点に近いところに自分の思考を戻した中から何かを創造しようと思った時の創造の方法論、組み立て方を紹介したいが、概念的になってしまうので実際のデザインのアウトプット経験から説明をしてみたい。何もないところでいかにデザインを組み立てていくのか、そういう機会が過去にあって、どのように具体化したのかについての経験談である。言い換えると、前例のない創造をいかに手掛けるか。

 

私が過去にUIデザインというものに本格的に取り組みはじめたのは、2011年頃Apple社からiPhoneが登場し、またappstoreというアプリケーションの構築および流通経路が出来上がった初期の段階である。当時の状況は新しい「スマートフォンアプリのUIデザイン」の勃興期であり、いわば開発ツールやUIキットなるものが提供されていて、またApple社の標準アプリなどのUIデザインのパターンから、それぞれのアプリ開発者が模倣の中でさまざまなバリエーションを生み出していく流れが本流だった。そこで自分なりのUIデザインの方法論で作られたUIを形にしてみたい、という本能を私は抑えきれず、また勃興期ならではの混乱の中でどさくさに紛れて自分のやりたいことを他の人達の助けを得られた結果、構想だけのアンビルドではなく、社会に流通し使ってもらえる状態に具体化することができた。

 

一番最初に具体化できたのが、超短編小説のアプリである。これは数分で読める短編小説20話を一冊とした単行本をいかにUIに落とし込んでいくか、またそれらが本棚に並んでいくかのように一巻目、二巻目と継続して増えていく単行本群をUIに落とし込んでいくか、自分なりの知恵を絞った。

本という形式を分解していくと、表紙、目次、本文という3つが基本構成となる。本文部分は基本的にアナログの本であろうと、デジタルの本であろうと、テキストの羅列でしかないが、短編小説や情報誌のようなものだと、偶然ぱらぱらめくって開いた情報を読んでみたり、流し読みして見たりしながら詳細に入っていく、そういう体験をいかにデジタルの世界で具体化していくのか、また違った体験として提案できるのか、というところに創造の自由が存在している。自分はまず、一冊の本の表紙と目次、そして個々のお話の冒頭数行を読んで見るという体験をひとつにするような、直感的なインターフェースを設計してみた。またその別の視点で、多様な作品群をいかにシンプルな構造に合理的に収めていくかの構造を可視化しながら、そのインターフェースに紐づけていった。

 

次に具体化できたのが、ミュージシャンの音楽アプリである。これはCDやアルバムといった体裁から離れ、一曲ごとにYouTubeで新曲発表をしながら、その弾き語りの仕方、特にギター演奏のチュートリアルをアプリで課金販売する、という構造が先にあって、それに対してUIで何ができるかがデザインの役割となる。私はまず、風景に溶け込むようなオーディオ機器のようなUIをイメージしながら、インテリアになるようなUIを入り口に作り、その先は大きな要素を操作するとそれが分かれて新しい要素が登場するという、入れ子の構造を用意した。

 

ひとつの楽曲に対し付随するさまざまな情報をひとつの面で表現しようとすると、その幹となる情報に多様な選択肢を紐づけていくかたちになり、それはそれでいわゆるスクロールする世界観と同じでユーザーの取捨選択に委ねればいいという考え方がある一方、情報を隠すことで導線を作ったり、わかりやすく選択肢を提示する中間階層を用意することでより多様な選択肢へのアクセスを容易にする、そういった双方の考え方がある。シンプルな構造というのはどちらのことを指すのかは多様な考え方があると思うが、何か新しいデザイン領域が発生した場合、その勃興期には多様な思想のデザインが登場しつつ、合理的な方法に落ち着いていくという流れになるのが歴史なので、そういう点で新しい概念でUIデザインに取り組むことができた、そして具体的に使ってもらえるものとして世に出せたことは幸運だった。

このように新しい領域のデザインに取り組むことは、何もないところから設計や具体化をしていかなくてはならないので、その人のクリエイションの引き出しの広さ、深さ、そして具体化能力の明快さ、強さみたいなものが如実に試されると思う。自分の場合は、UIデザインに取り組む前に、Webデザインという世界で同じような体験をしていて、その当時Webデザインについては「どうやったら美しくなるのだろうか」と試行錯誤したり、そのために多様な美術、デザインの勉強を繰り返す中で得た経験、ロジック、ある程度整理された引き出しがあったからこそ、自分なりの世界観を表現できたと思う。またビジュアル化された対象世界を、感覚的ばかりでなく論理的に構造分解してみたり、時にはロジックを封じ込め感覚的に受ける印象に心を澄ませてみるなど、そういった行動習慣が自然的にできるようになると、まったく新しい領域でも概念の組み立てから、扱う要素の取捨選択、視覚構成の中での美の再現、つまりは「オリジナリティとクオリティ」が両立するようなクリエイションを生み出せるようになっていくのではないだろうか。

その後、私は「ビジュアライゼーション・アルゴリズム」という、美の再現に特化した視覚生成システムみたいなものを構想したり、それを活用した「幾何学模様の創造」ということを続けているが、社会の中の立ち位置として流行やルール、過去事例などから離れ「原点」に近いところ、すなわち無からのビジュアル世界の創造の挑戦を続けている。原点に近いところからの創造においては、数の扱い方、空間や時間の扱い方、そして直観の使い方など、いわゆるクリエイティブ教育では学ばないけど普遍的に存在する「シンプルなルール」を知識として得て、また無意識に使えるほど血肉にしない限り、継続的に創造を組み立て続けることは難しいだろう。それくらい既成概念や一般常識というものはシンプルな創造のあり方を見えなくする。そもそも普遍性に立脚した表現ということが個性、オリジナリティになるということも変な状況だが、それくらい情報化社会においてはある種同じ世界観の競り合い、熟成ということが進んでいることだとだと思う。私としては、原点から普遍性を内包して具体化される、そんな私の方法論が世界を良くする、世界を美しくすることにつながっていると心より信じているし、それは他者や社会的評価と関係なく、絶対的に私が信じることができる私の中からやってくる直観である。

本日のタイトル画像:

Infinite loop geometric pattern No.5680
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